Vol.3 夕暮れの歌舞伎町を母と歩いた

文_燃え殻
2019.11.28

毎日多くの人が行き交う街、歌舞伎町。
あなたはこの街に、どんな思いを抱いていますか?

毎月更新のこのコラムでは、歌舞伎町になじみある人物に街への愛を語ってもらいます。

第3回目は、作家の燃え殻さん。
2017年に『ボクたちはみんな大人になれなかった』を発売して以来、人気作家として忙しい日々を過ごしている彼が今思う、歌舞伎町とは?

新宿コマ劇場も、今はもう何もないけれど

 僕が生まれて初めて生で観たライブは、「藤田まことショー」だった。場所は新宿コマ劇場で、僕は十七才だった。尾崎豊が「十七才の地図」を作った年に、僕は「藤田まことショー」を母親と観ていたことになる。反抗期をちゃんと迎えられなかったからなのか、今でもぐずぐずしながら生きている。あれからずいぶん時間が経った。僕は今年四十六才になった。藤田まことはこの世を去って、新宿コマ劇場も今はもうない。跡地には、ゴジラが定期的に奇声を上げるホテルが建っている。僕はそのホテルで、今これを書いている。

 十七才の頃、「必殺仕事人」が好きだった。中村主水役の藤田まことに痺れていた。今考えても渋すぎる十七才だった。渋すぎて友達がいなかった。同年代は、『ロボコップ』とか『ビバリーヒルズコップ』が好きだったと思う。コップ的なものが流行っていたのかもしれない。必殺好きとしては、深作欣二監督『必殺4 恨みはらします』がその頃の推し映画だった。おじいさんだらけの伊勢佐木町から一本入ったところにあった関内アカデミー劇場で、ボロボロ泣きながら観た。その関内アカデミー劇場も今はもうない。

母と観た「藤田まことショー」は、最高だった。藤田まことの剣劇あり、歌あり、トークありで、幕間には「藤田まこと弁当」まであった。ショーが終わって外に出ると、歌舞伎町はもうすっかり日が落ちて、歓楽街と化していたのを憶えている。母は、「あまりキョロキョロするんじゃないの」と僕を戒める。僕は街ゆく大人たちに、目を奪われていた。「藤田まことショー」を観たあとだからか、少し自分も大人になったような気がしていた。キャッチのおじさんが、声をかけまくっているのが前方に見えた。僕が目の前を通り過ぎる時、なんだガキかよ、という顔で見送られた時は思いのほか傷ついた。僕は初めて早く大人になりたいと思った。母は、キョロキョロしないの、と地下道に入るまで繰り返し小声で注意していた。

思い出が交差する街、歌舞伎町

 あれから月日が流れて、僕は東京で一番落ち着く場所が今、新宿歌舞伎町になっている。昼間の仕事をしながら、ものを書く仕事も始めて、よくビジネスホテルにこもるようになった。場所は決まって新宿歌舞伎町だ。猥雑な街のネオンを見ながら、静かで清潔なホテルの部屋で、カタカタと原稿を打ち込んでいくのが一番集中できる。

 僕をこの世で最初に褒めてくれたのは祖母だった。はずだ。少なくとも僕の記憶では祖母だ。「お前の作文は面白いねえ。まずあれだ、行ってもいない場所の思い出を書いているところがいいよ」と、ゲラゲラ笑いながら褒めてくれた。祖母は飲み屋をやっていて、その一杯飲み屋「ときわ」のカウンターで僕は作文をよく書いて、祖母に見せたりしていた。祖母を喜ばせたくて、嘘ばかりついた旅行記をよく書いていた。飲み屋の客は国鉄に勤めるおじさんが多くて、僕の作文を読んで、「おい、いつ車に乗れるようになったんだ?」と僕の頭をガシガシ撫でまわしながら笑ってくれた。僕は小学五年生の作文で、車を運転して伊豆七島を旅する話を書いていた。僕の中では、伊豆七島は全部道路で繋がっていて、そこを軽トラックで旅をしたことにしてしまっていた。途中、クジラと遭遇したり、半魚人に小判をたくさん貰ったりする奇想天外な旅行記だった。祖母と飲み屋の客には好評だったが、担任教師には不評だった。

 話が飛びに飛んで申し訳ない。なんだかやけに思い出が交差してしまう。ここが新宿歌舞伎町で、すっかり日が落ちてきたからかもしれない。

とにかく安心させてくれる何かがある

 この原稿を書き終わったら、僕はホテルを出て、歌舞伎町の行きつけの居酒屋に向かうつもりだ。エレベーター降りて、裏口からネオン街を横断すると、すぐに若いお兄さんに「今日はどうですか?」なんて声をかけられるかもしれない。今日は大丈夫っす、なんて言いながら、僕はいつもの店の暖簾をくぐる。そんなにお腹減ってないかも、とかなんとか言うと、店主の作ったキャベツの酢漬けと薄いハイボールが、ドン、ドンって感じでテーブルに並べられるはずだ。その時、カウンターの奥の暗がりに、年末年始ですらいる正体不明のおっさんがニマニマ笑っているのは、もうわかっている。

 歌舞伎町の猥雑さは、とにかく僕を安心させる。「必殺4」を観た関内アカデミー劇場のあの心地よい闇の中にいる気分になる。一杯飲み屋「ときわ」で作文を書いていた自分を思い出す。  跡形もなくなった新宿コマ劇場跡地で、今これを書いている。母と歩いたあの日の歌舞伎町の空気を思い出しながら、今原稿を書き終えた。

プロフィール

燃え殻(もえがら)

1973年神奈川県出身。都内のテレビ美術制作会社で企画・人事担当。会社員でありながら、小説家、エッセイストとしても活躍。週刊SPA!『すべて忘れてしまうから』を連載中。新潮社yomyomにて『これはただの夏』を発表。2017年6月30日、小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』(新潮社)がベストセラーになる。

夕暮れの歌舞伎町を母と歩いた

text:燃え殻
illustration:熊木まりこ
photo:阪元祐吾

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