“守られていない自由が心地いい” 夜の歌舞伎町に珈琲と絵本を届けるcohon

文_藤谷良介
2020.03.31

「オニイサン、アソビ?」
歌舞伎町2丁目にある区立大久保公園周辺から、この誘い声を聞かなくなったのはいつ頃からだろうか。街の中心地である1丁目から大久保方面に少し歩いたこの場所は、かつて夜な夜な多国籍な街娼が立つエリアだった。

2010年にイベント開催やスポーツができる公園としてリニューアルされ、園内にバスケットコートやフットサルコートを併設し、週末にはフードイベントが開かれることもある。

その片隅で、深夜にひとりぽつねんと佇み、珈琲と絵本を提供する店「cohon(コホン)」がある。装飾や機具はすべてカバンひとつに収まる、モバイル式のスタイルだ。歌舞伎町と六本木を拠点にしながら、不定期で街に現れる。

街を妖艶に彩るネオンサインが象徴的な歌舞伎町で、なぜcohonをはじめたのだろうか。

夜の歌舞伎町に、小さなカフェのあかりが灯る

金曜日の22時。酔客のにぎやかな声が聞こえはじめた歌舞伎町の街に、蛇腹のスタンドを立てる。
クラシカルなブラウンレザーのバッグから取り出した絵本やドリッパー、ケトル、テイスティング用のグラスを並べ、電球を灯し、手描き看板を立てると、珈琲と絵本の店・cohonがオープンする。

メニューは珈琲(ミディアムロースト/ダークロースト)、エスプレッソ、マシュマロを浮かべたココア。

JBLの小さなスピーカーが奏でているのはホセ・ジェイムズ版の『Lean on me』。
「珈琲よりもこのスピーカーの方が誉められるんです(笑)」

そう話すcohonの主人は、群馬県で生まれ育ち、若い頃からバーテンダーに憧れていたそうだ。大学時代は飲食のバイトをし、卒業して10年間“お堅い”仕事に就いた後、「本当にやりたいことをやろう」とカフェに転職し、2019年に独立した。
現在、歌舞伎町在住でもある。

「小さくても、自分なりにできる場を持とうと思ったんです。道具を揃えて試しに街に広げてみたら、さっそくお客さんが来て、オープンせざるを得なくなって(笑)」
そんな経緯があり、新緑が萌え盛る5月にcohonをオープンした。

豆からこだわり1杯ずつ淹れる珈琲と、大人こそたのしめる絵本を

「最初は代官山あたりでお洒落にやる予定だった」と笑うが、なぜ夜の歌舞伎町に辿りついたのだろうか?

「サブカルチャーが根付いた中央線沿いや下北沢の街でやれば、すぐに馴染んだと思います。でも、自分をきれいに写してくれる鏡を見て悦に入る……ようなことはしたくなかった。
だから、あえてcohonを受け入れてくれなさそうな歌舞伎町と六本木を選んだんです」

物腰はやわらかいが、感性がフリーキー。
だから街に合わせず、自分の信念通りに好きな珈琲と絵本を届ける。
酒や「歌舞伎町ブレンド」なんて、歌舞伎町に合わせたメニューもない。

絵本は『ぐりとぐらとすみれちゃん』『葉っぱのフレディ―いのちの旅』など、大人になって読み返すとまた違ったニュアンスを感じる物語をセレクトしている。

そんな話を聞きながらコーヒーをいただいた。
注文を受けてから1杯ずつ豆から挽き、ハンドドリップする。

Melitta(メリタ)のドリッパーで丁寧に淹れるコーヒーは2種類。酸味と苦味のバランスの採れたミディアムローストは、ブラジルとコロンビアのブレンド。ビターでコク深いダークローストは、エチオピアのシングルオリジンと、豆からこだわる。

客前に空のテイスティンググラスを並べているのが目に入った。

「はじめはここに豆を入れて、香りで選んでもらっていたんですけど、みんな酔ってるから誰も使わなくて(笑)」

歌舞伎町には、新しさに出会える刺激と自由がある

営業をはじめて約1年、毎夜のように“歌舞伎町ならでは”の場面に遭遇するという。
人に言えない相談をしてくるSMクラブのスタッフや、目の前ではじまる酔っ払いたちのストリートファイト……。

cohonは日によって六本木でも営業しているが、街の違いは何なのだろう。

「意外だったんですが、六本木の人たちはすぐに受け入れてくれました。商店会に入れそうな雰囲気まであって。それに比べて、この街は1年経ってもまだまだ刺激的で、“守られていない”自由さが心地いいんです」

なにより、ここを続けていられるのは常連さんの存在だと話す。

近隣で働く歌舞伎町の住人たちだけでなく、通りすがりの酒徒、怒ってきた人からの「逃げ方」をレクチャーしてくれたケバブ屋のトルコ人……といった多様な客が、灯火に吸い寄せられるように集まってくる。

この日も、物見遊山の客に混じって、顔見知りが何人も来ていた。

「cohonが職場から家の途中にあって。まだ上京してきたばかりでこの辺りのことがよく分からないから、心の癒しになっています。ホッとできて、明日もまたがんばろうって思えるんです」と教えてくれたのは、偶然にもcohonの主人と同郷だった女性。

名前も仕事も知らないけれど、この異界のエアポケットで飲む珈琲と、この場でのなんてことのない会話が、街の登場人物たちにひとすじの安らぎを与えている。

取材日は、多くの人がひっきりなしに訪れていた。

「私がここに立っていても、夜の歌舞伎町の本質は変わらない。ただ、ほんの少しだけでもこの街の世界が変えられたら、たったひとりにでも気持ちが届けばいいなと思っています」

歌舞伎町と六本木でのcohonの活動は、今年の夏頃まで。
その後は地元である群馬県に戻り、本格的に店を開く準備をはじめるそうだ。

「変わらずcohonの名前で続けていくので、気にかけてくれる方がいればうれしいです」

cohon

*営業日や営業時間等の詳細はTwitterを確認してください
Twitter @cafe_cohon
Instagram @cafe.cohon

“守られていない自由が心地いい” 夜の歌舞伎町に珈琲と絵本を届けるcohon

text:藤谷良介
photo:山口雄太郎

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