新・歌舞伎町ガイド

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フリースタイルの覇者、新宿育ちのACEからみた歌舞伎町とMCバトル・ブームのこれから

歌舞伎町

インタビュー
DATE : 2020.10.02
今やお茶の間レベルにまで認知が拡大したMCバトル。即興でリリックを考え、言葉のパワーと巧みなフロウで相手を打ち負かすこの闘いの場で、圧倒的な存在感を放つのがラッパー・ACEだ。

名だたるMCバトルで覇者となり、2016年にはリオオリンピックのCMソングにも起用された。圧倒的なスキルと鋭い言葉選びで数々のバトルのトロフィーをかっさらってきたACEだが、そのキャリアには新宿・歌舞伎町で育った彼のバックグラウンドが大きく影響しているという。

自身が主催するイベント「真アドレナリン」の次回開催も迫る中、歌舞伎町の街角で彼の話を聞いた。

新宿は「人種の坩堝」

ブラジル生まれ、新宿育ちのACE。物心ついたばかりの幼い頃から、すでにその目には新宿という街の風景が映っていた。

「ブラジルで生まれて、3歳のときに日本に来たんです。親父は先に日本に来ていて、俺がある程度大きくなってから母親が追いかけた形で。そこから基本的にはずっと、二十歳くらいまでは大久保寄りの北新宿四丁目というところで生活をしていました」

ACE自身、「人種の坩堝(るつぼ)のような感覚」と表現する新宿の街。彼が育った90年代の新宿の様子をこう振り返ってくれた。

「多面性がある街だった気がします。人種も結構、入り乱れていましたし、悪い人もいればいい人もいる。中国マフィアみたいな人からヤクザもいるし、それが全部混ざってグチャっとした街で、ヒヤヒヤすることも多かった」

2020年7月に発表したACEの最新作『RE:音』には、幼少期の思い出を歌った「ナイトホーク」という楽曲が収録されている。日本に来たばかりで言葉が分からず、保育園という小さな“社会”で幼いながらも葛藤する様子を描いた一曲だ。

「保育園に入る前、親が共働きだったので託児所みたいなところに預けられていたんです。当時、すでに90歳近いシロサキさんというおばあちゃんの家で、そこには僕と同じようなミックスの子どもたちが集まっていた。おそらく、歌舞伎町のパブやキャバレーで働いている海外の方もいたし、近所には外国人が住む団地もあったので、地域的にミックスの子どもたちが多かったんじゃないですかね。

シロサキさんの家ではそもそも言葉が全然わからない子たちが集まっていて、何故だかアイコンタクトみたいなものを使ってみんなが仲良くしていたんです。だから、初めて保育園に行ったときは規模感も環境も違って馴染めなくて。それを鮮明に覚えていますね。3歳半くらいのときに、保育園で自分が笑われて、その子をすぐに殴っちゃって、園長先生に怒られて号泣したり。結構トラウマチックな思い出として残っています」

ラップに出会ったのは小学生のとき。大好きなアニメの主題歌にラップが使われていた。小学校は「真面目なやつ半分、そうじゃないやつが半分」という環境だったそうだが、ACEはストイックにラップへと傾倒していった。

最初は「思いついた言葉をリズムに乗せていって、自分が言った言葉を暗記してそれを曲にするみたいなことをずっと繰り返していた」と言い、「それがフリースタイルという手法なんだと知ったのはもっと後になってからだった」と振り返る。

「小・中学校の頃はサイファーなどはやっておらず、近所の北柏木公園ってところでずっと一人でラップしていました」

今のキャリアに繋がる大きな契機となったのは高校卒業が間近に迫った頃。この頃に、現在も共にイベントを主催するHIDE氏と出会いラップ・グループ「Sound Luck」を結成した。

「HIDEは共に新宿区育ちで、この業界では既に名を轟かせていた、同じ新宿出身の有名なラッパーの先輩を紹介してもらいました。当時は地元の先輩という意識はなかったんですが、HIDEから『あの人、新宿出身だよ』って聞いて、まじで? と。それから家に遊びに行かせてもらったり、いろんなクラブでのライブに連れて行っていただいたりもしました。そのとき、初めて新宿にもかっこいいラッパーがいたんだ! って嬉しい気持ちになったのを覚えています」

「俺にとっては居心地の良い場所」

新宿・歌舞伎町で育ったことは、ACEさんの人生に影響を及ぼしているか? という質問には「めちゃめちゃ影響を受けています」と即答。

「いい影響も悪い影響もあるんですけど、僕がこうしてポジティブな性格になれたのも、ブラジルと歌舞伎町の両方で、自分の目で見た光景や、経験してきたことのおかげだと思います。だから、ある程度のことじゃめげなくなった。何か起きても”大したことないんじゃね?”って。

逆に、悪い影響で言えば、あまり人を信用しなくなったことですかね(笑)。基本、勘ぐっちゃうことが多いです」

撮影時、歌舞伎町の街角で披露してくれたフリースタイルには、短いながらもそのすべてが詰まっているように感じた。

歌舞伎町は、僕が小学生くらいのときが一番ギスギスしていたというイメージ。高校生の頃には少しは落ち着いて、ピースフルな街になりつつあったんじゃないかな。

当時は、外国人の方や友達が経営しているお店に行ったり、路上に溜まったりしていました。そこで、街にいるいろんな人を眺めていることもありましたね。立ちんぼの女の人とか、ポン引きのおっちゃんがずっと立っている、そんな風景にも歌舞伎町っぽさを感じていました」

そうして大人になったいまの視点で歌舞伎町を見渡すと、「平和になったなと感じます」という。

「街を歩くみんなの目もそんなに殺伐としてないし、自由で楽しそうな街だなという印象。いまだに、『どこ住んでるの?』と聞かれて『新宿』と答えると、『こわ!』って言われることもあるけど、俺にとっては居心地の良い場所ですよ」

「自分たちのイベントは常にデカく拡げ続けていく」

現役のラッパーとしてバトルのフィールドに立ったり、楽曲制作に勤しんだりする傍ら、ACEは自ら「真アドレナリン」という人気MCバトル・イベントを主宰する立場でもある。

「次回は10月3日、渋谷の『TSUTAYA O-EAST』でイベントを開催します。こちらでは『真アドレナリン・キングダム』という新しい試みもあり、前回チャンピオンである呂布カルマさんに15人の刺客が挑むという企画もあるんです。

このイベントは、『SAVE THE MC BATTLE』というプロジェクトのもと、他のMCバトルのイベントとも手の内を見せ合って相乗効果を生んでいこう、という側面もある。コロナ禍で大変なときだけど、逆に新しい可能性が見えたなという気持ちはありますね」

テレビ番組やラップ以外のイベントなどにも積極的に出演し、フリースタイル・ブームの立役者としても尽力してきたACE。すでに「ラップをすることは生活の一部」とも言う彼は、面に立つリーダーとして、責任感を持ちつつ未来へ向かってさらに大きなプロジェクトも進行中だという。

「来年は、いよいよZeppで『真アドレナリン』を開催したいなと考えているんです。いま、MCバトルもすごくいい時代に入ってきていると思いますし、何が起きてもこの熱量が下がらないようにしていきたい。

MCたちもどんどん音源を発表しているし、この先、当たり前のように“ヒップホップ”という音楽が存在すればいいなと思っています。僕はHIDEと連携して、自分たちのイベントは常にデカく拡げ続けていくっていうのが今後の目標です。

それこそ、いつの日にか僕らの原点でもあるこの歌舞伎町の街をロックダウンして、『ULTRA JAPAN』にも負けないくらいのイベントを開催できたら面白そうですよね(笑)」

ACE

1990年、ブラジル生まれ。3歳のときに日本へと移住しその後、幼少期から新宿区で生まれ育つ。小学生のときにラップに出会い、18歳の頃からクラブイベントやMCバトルのイベントに出場するようになる。2015年からテレビ朝日系列「フリースタイルダンジョン」に出場し、二代目モンスターとして活躍。自らマイクを握るだけではなく、イベント・プロデュースやラップスクールの講師など多岐にわたって活動し、メディア出演も多数。
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text:渡辺志保
photo:吉松伸太郎

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