【Interview】Vol.12「新宿西口から『姉妹』が始まった」 チャラン・ポ・ランタンと新宿の関係を紐解く(前編)

文:佐々木ののか
2020.11.27

「私の歌手人生のはじまりは、Naked Loftなんですよ」
「いや、実は新宿西口から始まりつつあったよ」

そう楽しげに話すのは、チャラン・ポ・ランタンの小春ともも。新宿でのパフォーマンスが多いことはファンの間でよく知られているが、ふたりと新宿を結ぶエピソードは幼少期にまで遡るディープなものだった。

2009年に結成、2014年にメジャーデビューを果たして以降、映画・ドラマへの楽曲提供や、演技・CM・執筆、動画制作等、飛ぶ鳥を落とす勢いで幅広い活躍を見せるチャラン・ポ・ランタン。バルカン音楽、シャンソン、各国の民謡などをベースに、さまざまなジャンルの音楽を自由に取り入れたサウンドや、サーカス風の独特な世界観で、国内外問わず、多くの人を魅了し続けてきた。

今でこそ活動をともにしているチャラン・ポ・ランタンのふたりも、結成前までは「ぜんぜん会話しない姉妹」だったという。そんなふたりがユニットを結成、すなわち姉妹としての距離を縮めていくきっかけとなった場所もまた新宿だった。

チャラン・ポ・ランタンのふたりと新宿にまつわるエピソードを、小春がソロで活動していた時代にまで遡り、じっくり紐解いていこう。

「アコーディオン弾きは、唯一の生きる術だった」

幼い頃から新宿に馴染みがあった、チャラン・ポ・ランタンのふたり。

新大久保のアコーディオン教室に毎週通ったり、通学の乗り換え駅として利用したり、母に連れられてランドセルを背負ったままライブを観に行ったりと、新宿周辺のあちらこちらに思い出を埋めてきた。

しかし、新宿の色をより濃く帯びるようになったのは、小春が大道芸人としてアコーディオンを弾くようになってからだという。

東京都が実施する「ヘブンアーティスト * 」の審査を受け、流しのアコーディオン弾きとしての活動をスタートしたのは、小春が17歳のときだった。

*東京都が実施している大道芸人公認制度。およびそのライセンス保持者

チャラン・ポ・ランタンの小春(右)

「小学生の頃から人間関係を巡るトラブルが多くて(笑)。人付き合いが苦手な人間になりそうだなとは自分でも悟ってました。でも、アコーディオンだけは7歳の頃からずっと好きで唯一夢中になれるものだったから、それだけで生計を立てながら人と最も接触せずに済む方法はなんだろうと考えたんですよ。そこから、道端で演奏する大道芸人に行き着いた」

高校在学中から身の立て方について突き詰めて考えていた小春。強い自立意識の背景にあったのは、人を頼るのが苦手という彼女自身の性質だった。

「自分の弱いところを見せたり、誰かに助けを求めたりするのが苦手で。たとえば、生活が厳しくても、母親に『お金貸して』と絶対に言えない。だからこそ、自分で何とかしなくちゃと必死だった。アコーディオンの演奏も『好きなことを仕事に』というよりも、最初はお金のためだったんです」

小春がライセンスを取得した「ヘブンアーティスト」に開放される活動場所は、54施設74ヵ所にも及ぶ(2020年現在)。数多くの拠点の中でも小春が好んで活動していたのは、東京都美術館前と上野公園、井の頭公園、そして新宿西口の地下通路だった。

さまざまな方が行き交う新宿西口は人通りが多いものの、長く留まる人は少ない。それでも、通勤途中のサラリーマンや、メトロ食堂街を訪れるご高齢の方など、多様な人たちが足を止め、1曲だけ聴き、投げ銭をして去っていく。

そうした人との一瞬の出会いは、小春と世の中との接点になっていった。

「当時は『アコーディオンの小春です。18歳です。パリに行きたいです』と書いた看板を置いて演奏していました。通りすがりのおばあちゃんが『飛行機代にもならないけど』と投げ銭してくれるんですよね。なるべく人と話さないようにするために大道芸を始めたのに、足を止めてもらえるようにMCを挟んだり、人と喋ったりするようになったのは新宿西口で演奏し始めたおかげだなって思います」

「あの頃の新宿で出会った人たちの音楽性に、今も影響を受けている」

新宿西口での演奏は週1日、流しの演奏自体は週5日こなしていた小春。「人生で最もハードだったかもしれない」と振り返る当時の傍らには、いつも手書きのチラシが置いてあった。

「仕事が欲しい一心で、連絡先とスケジュールを書いたチラシを配ってました。他の大道芸人にそんなことしている人はいなかったですし、電話番号を載せてたのも今考えるとヤバいんですけど、当時はとにかく必死でしたね」

そんな努力が功を奏し、小春の元にはどこからともなくライブハウスでの出演依頼が舞い込むようになってきた。そのうちのひとつが、新宿区百人町に位置する「Naked Loft(ネイキッドロフト)」だった。

「当時のNaked Loft店長の上田さんが、チラシを見て連絡をくれたのがはじまりでした。それがきっかけで、大道芸人とは別で、同時期に活動していたバンド『マイノリティ・オーケストラ』のワンマンライブを隔月でさせてもらうことになったんです」

Naked Loftでのマイノリティ・オーケストラのライブが話題を呼び、その後はロフトプラスワンや新宿ロフトをはじめとした、新宿のライブハウスへの出演依頼も増えていく。

「バンドって最初はノルマ制だと思うんですけど、『私はお金のためにやってるんで』と言い続けて、出演料をくれるライブハウスだけで演奏していました。最初は全員ポカーンって感じですよ(笑)。誰も来ない日もあったし、後になって本当に失礼で生意気だったなと気づくんですけど……よく出演させてくれていましたよね」

そこからチャラン・ポ・ランタン結成後も、新宿のライブハウスでの思い出は堆積していく。とりわけ、Naked Loftで共演したバンドは、今の小春をかたちづくった原点だという。

「過去を振り返っても、Naked Loftで対バンしていた人たちの音楽性には一番影響を受けていたなと思う。今でも彼らの音楽を聴いているし、あの頃に新宿で出会った人たちはみんな、どうにかして音楽を続けていこうとするハートがあった。社交性がなかったから連絡先も知らないんだけど、小さいときによく遊んでくれていたお兄さんお姉さん方って感じかな」

「チャラン・ポ・ランタンを結成してから、私たちは『姉妹』になった」

「Naked Loftでのライブまでは、私の人生が始まっていなかったんですよ」

初めてステージに立った日のことを振り返り、ももはそう語った。

ももの初ステージは、Naked Loftで行われたマイノリティ・オーケストラのワンマンライブ。初のリリックソング「親知らずのタンゴ」を歌うゲストボーカルとして、小春がももを迎え入れたエピソードは、ファンの間ではよく知られているかもしれない。

しかし、小春は「ももの人生は、私の大道芸人時代から始まりつつあった」と話す。

「ももにはチラシ配りとか投げ銭集めの手伝いをしてもらってたんです。当時は積極的に会話をするような仲ではなかったはずなんだけど、暇なら手伝ってよと誘って来てもらってたよね」(小春)

「私も私で、暇だしやるかって感じで。『可哀想に見えたほうがお金をもらえるからニコニコしなくていい』って言われて、無表情で投げ銭をもらいに行ったのは覚えてるけど(笑)。なんで手伝ってたんだろうね」(もも)

チャラン・ポ・ランタンのもも(左)

今でこそ、姉妹ユニットとして活動をともにするふたりだが、音楽活動を始める以前はほとんど会話のない姉妹だった。

「ももをゲストボーカルに誘ったのも暇そうにしてたからで。お母さんからは、ももがよく歌っていると聞いてはいたけど、ももの財布の中にカラオケのスタンプカードがたくさんあったのを見て、『歌が本当に好きなんだな』と知ったんだよね」(小春)

「他人の財布を勝手に見るの良くないよ(笑)。でも、5歳離れていることもあって、お互いに興味がなかったし、知ろうともしてなかった。仲が悪いわけではないんだけど、こんな風に会話することすら当時は考えられなかったね」(もも)

そんな風に、お互いをほとんど知らない状態で音楽活動をスタートさせたふたり。チャラン・ポ・ランタン結成後は、マイノリティ・オーケストラの活動も勢いを増し、ライブハウスに限らず、結婚式場から幼稚園、老人ホームでの演奏、会社の旗開きから忘年会まで、ジャンルを越えて、あらゆるところから仕事が舞い込んだ。

「小春ちゃんがスケジュールを組んでくれたんですけど、ロフト系列の年越しライブを分刻みでハシゴする年末年始が3~4年続いたよね。高校1年生の夏休みなんか、たった2日しかなかったんですよ(笑)」(もも)

「マイノリティ・オーケストラのメンバーが就活で忙しくなる時期で、予定を組んでも断られるようになって。バンド活動できないから、チャラン・ポ・ランタンのスケジュールで埋めたんですよ。最近になって、夏休みが2日しかなかった話を聞いて、『悪いことしたな』と思った。でも、どうしてあんなに呼んでもらえていたんだろうね」(小春)

「なぜ出演依頼があんなにもあったのかわからない」と首をかしげるふたりだったが、その答えを当時の彼女たちをよく知る人に話を聞くことができた。

現・ロフトプラスワン店長の鈴木恵さんは「おふたりの “お祭り感”のあるステージが当時のロフトのカラーに合っていたから重宝されていたんだと思います」と語り、「まだ高校生だったももちゃんが、ここのバーカウンターに座って歌ってくれたのを、最近のことのように思い出します」と目を細める。

枠を意識しない、弾けるような自由なパフォーマンスで、観客およびライブハウスのスタッフを魅了していったチャラン・ポ・ランタンのふたり。ライブを重ね、共有する時間が増えるにつれて、姉妹としての歴史も積み上げられていったという。

「チャラン・ポ・ランタンとして活動するようになってから、お互いの得意不得意を知って補完し合うようになっていった気がする。たとえば、小春ちゃんは人と話すのが苦手だから、私がコミュニケーションを担当しよう、みたいな」(もも)

「ここ数年はとくに仲良くなったよね。私たちがおばあちゃんになったら1本の樹にでもなってるんじゃないかな」(小春)

新宿西口から始まり、徐々に堆積されてきたチャラン・ポ・ランタンおよび、姉妹としての歴史。

次回公開の後編では、歌舞伎町・ゴールデン街とチャラン・ポ・ランタンのエピソードを紐解いていく。

チャラン・ポ・ランタン

もも(唄/ 平成生まれの妹)と小春(アコーディオン/ 昭和生まれの姉)による姉妹ユニット。
2009年に結成、2014年にエイベックスよりメジャーデビュー。
バルカン音楽、シャンソンなどをベースに、あらゆるジャンルの音楽を取り入れた無国籍のサウンドや、サーカス風の独特な世界観で日本のみならず、海外でも活動の範囲を広める。
チャラン・ポ・ランタンとしての活動のほか、映画/ドラマへの楽曲提供、演技・CM・声優・イラスト・執筆など活動の範囲は多岐に渡る。これまでに9枚のオリジナルアルバムを発売。最新アルバムは「こもりうた」(2020年10月28日発売)
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【Interview】Vol.12「新宿西口から『姉妹』が始まった」 チャラン・ポ・ランタンと新宿の関係を紐解く(前編)

text:佐々木ののか
photo:山口こすも

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