「自主映画を撮ってた頃に戻った」園子温が無名の若者たちと作り上げた最新作『エッシャー通りの赤いポスト』について語る

文:遠藤京子
2021.12.25

ニコラス・ケイジ主演の『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』(2021年)でハリウッドデビューも果たした、邦画界を代表する園子温監督。2021年12月25日(土)には無名の若者を集めたワークショップで制作した映画『エッシャー通りの赤いポスト』が公開される。本作は、役者の卵たちがオーディションを受けてカメラの前に立つまでを描く群像劇であり、インディーズ時代に戻ったかのような若々しい作品に仕上がっている。園監督に、映画に込めた想いと新宿・歌舞伎町の思い出を聞いた。

無心で撮影したピュアな映画

— どうしてワークショップをお引き受けになったんですか?

2年前に心筋梗塞で倒れたんですよ。集中治療室に運ばれて命からがら、死にかけて戻ってきました。そのとき『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』の撮影が始まろうとしていたんですけど、そういう体調なんでその年の暮れまで撮影が延期されることになりまして、間がぽっかり空いちゃったんです。

それで、退院した後にたまたまワークショップをやってみないかっていう話がありまして、今まではそういうのにあんまり興味がなかったんですけど、特にやることもなかったので。これまでも何度かワークショップをやってみないかって話はあったんですけど、授業で若者からお金を取るのはちょっと心が痛むっていうか、そういうのがあんまり好きじゃなかったんで、やってなかったんですよ。ちゃんと本格的にやったのはこれが初めてですね。

でも、ただ授業をやるだけだったらやりがいがないなと思っていて。そこで、授業が全部終わった後に結果を残すために映画を一本撮って、身内だけでもいいからみんなでそれを見て最後の勉強をしようかという事になって、だったら一度やってもいいかなと。いまだに授業だけではやりたくないですね。終わりに映画を撮るっていうのがあってこそだと思ってます。

最初はそんな大それた映画じゃなくて、もうちょっと短編とか身内の発表会みたいなのをやろうと思っていたんですけど、だんだん普通に映画を撮るって事になってきまして。映画館で公開するような映画を撮っているつもりはまったくなかったんです。だから逆に撮影してる間は無心というか、ピュアで純粋な気持ちで撮り続けまして、終わってみれば非常に爽やかで、30年ぐらい前に8ミリフィルムで自主映画を撮ってた頃に戻ったような感じがありましたね。

実際、僕は撮影後も特に公開しようと思ってなかったんです。作った会社が「良い出来なんでやりましょうよ」って言ってくれたので「そうですか」って感じで、みなさんに押されてここまで来ました。

『エッシャー通りの赤いポスト』撮影現場

— 人材を育てようという使命感も感じていたのでしょうか?

そうですね。授業料をもらってやってる訳ですから、52人の参加者全員、あらゆる人を平等に扱うっていうのがテーマのひとつでした。そこから映画は群像劇になって、一人一箇所見所を作るっていう命題も生まれました。

— ワークショップでは具体的にどんなことをされたんでしょうか?

映画を作るっていうことを念頭に入れて始まったので、それ用に新しい台本を書いたんですよ。そして、「君はこの役をやってみなさい」っていう感じで割り振って、ある意味、何日間も続くオーディションみたいな感じでした。ただ、最初の台本だけでは52人分の役はないので、彼らの演技を見ていくうちにどんどん新しい役を作ってはキャスティングを進行していきました。

— まだ何者でもない若い方たちから、監督が得たものはありましたか?

童心に帰れたってことですかね。彼らの年齢の頃に立ち返って、学生時代に自主映画を作っていた気持ち、振り出しに戻れたっていう意味ですごく楽しかったし、本当にこんな機会がない限り味わえない気持ちだったと思います。何とも言えない、夏休みのような空間でしたね。

『エッシャー通りの赤いポスト』12月25日(土) ユーロスペースほかにて全国順次公開

きっかけは一人のエキストラ

— 本作では「人生のエキストラになるな!」という強烈なメッセージが発信されています。監督にとってエキストラはどんな存在でしょうか?

最初は、僕の撮影現場によく来るやたら目立つエキストラさんがいたんです。その人はエキストラなのに画面上ですごく目立とうとするんですよ。エキストラなのに画面の中に長く残ろうとするのがものすごくウザイっていうか(笑)。そのうち、「この人って何だろうな?」と思って、彼の人生とか、彼が撮影現場に来る時の気持ちとかを考えてたら、台本にしたくなっちゃって。この映画はそこから始まったんです。ただ、そもそもはハリウッド用に書き出したんです。

— そうだったんですね!

ハリウッド用として台本を書いている最中にワークショップが始まったので、ハリウッド用に書いたものの変奏曲というか、ちょっと派生させた感じです。もし、そのエキストラの映画がハリウッドで完成した時に『エッシャー~』と見比べるのも面白いかもしれないですね。

エキストラからどんどん活躍する人が出てきてほしいと思います。ニコラス・ケイジと結婚したエキストラもいますからね。僕の映画に以前よく出てた冨手麻妙なんかも、通行人役で来たりしてた時からどんどん上がっていったし。そういう人は意外といますよね。

— 本作は一種の楽屋モノになる訳ですが、監督の体験はどの程度反映されているのでしょうか?

もうさまざまな体験。ほぼ八割方は自分が現場で体験したことを映画にしています。オーディションは自分が受けたこともあるので受ける側の気持ちも分かるし、もちろん監督としての立場も分かるし。非常に書きやすい材料なので、「これはありそうもない話だな」っていう突飛なことは入れませんでした。自分の経験と、聞いた話なんかを取り入れてますね。

— 突飛なことではないと監督はおっしゃいますが、業界外の人間から観るとかなり新鮮でした(笑)。切子ちゃん(黒河内りく)の「あなたの映画を一度も見たことありませんでした。でもオーディションでは大ファンだって言います」という、爆笑する台詞もありますね。

よくある話で、「園さんの映画のファンです」って言ってても、実際は違うみたいな(笑)。オーディションを受けるたびに色んな人に毎回言ってるんだろうなと。この子(黒河内りく)の場合は、本当に僕の映画観てなかったです。(それを知る前に)何となく彼女のために書いたセリフだったんですけど、それが当たっちゃったっていう。あんまりうれしくない当たりだったんですけどね。撮影が終わってから観出したらしいです。

オーディションは人生の縮図というか、いろんな人がいっぱい来ます。オーディションで人生が変わることもあると思います。例えばもしも僕が『紀子の食卓』(2006年)で吉高由里子を選んでなかったらどうなっていただろうとか、清野菜名も『TOKYO TRIBE』(2014年)で選んでなかったら、だいぶ人生が違うと思うんですよ。オーディションっていうのは彼らにとって人生が変わってしまう場所であると思うんです。

— 監督自身がオーディションを受けたことがあるというのは?

これは監督の立場でです。ハリウッドって実はプロデューサーの前で監督のオーディションもあるんですよ。そうやって自分をセールスするんです。2、3年前に何度かそういう体験をしました。

— 自分を謙遜することが多い日本人にはなかなか大変ですね。

いやあ、シビアですよ。どうりで向こうの監督は自慢が多いんだなと思いました。向こうは本当にプロデューサーが一番偉いので、凄いんですよ。日本では絶対ありえないですよね。

— だから監督も俳優もみんな売れるとプロデューサーになるんですね。

それもあるし、操縦できるから。プロデューサーにならないと、操縦できなくなっちゃうんです。お金の問題じゃなくて、本当に作品を取り上げられちゃうっていうのがね。

園監督が過ごした80年代の新宿

— 『新宿スワン』(2014年)では歌舞伎町ロケも話題になりましたが、歌舞伎町の思い出ってありますか?

めちゃくちゃ色々あります。僕、もうじき六十歳になるんですけど、歌舞伎町は10代の頃からずっと通ってました。僕らの世代にとっての新宿はかなり重要な場所で、例えば60年代だと『新宿泥棒日記』(1969年/監督:大島渚)とか、『新宿○○』ってタイトルの映画がめちゃくちゃ多いんですよ。その頃は新宿が東京の象徴で。『書を捨てよ、町へ出よう』の寺山修司が主宰した劇団「天井桟敷」も新宿の歩行者天国でパフォーマンスしたり。そんな感じで、新宿っていうのは一つのシンボルだったんです。そこに憧れて、僕が10代だった80年代頃は新宿ばっかり行ってました。オールナイトで映画観たりとかね。

— 『新宿スワン』を見直したところ今はなき新宿ミラノ座がしっかり映り込んでいて懐かしかったのですが、ミラノ座でご覧になった思い出深い映画とかはありますか?

確か、『新宿スワン』では映画館の屋根でも撮影してるはずです。あと悪役をやった山田孝之が転がって落ちる大きな階段はミラノ座の非常階段です。とても大きくて印象的な素晴らしい階段でした。

思い出深い映画はめちゃくちゃあります。まあ、何でもかんでも観てますね。例えば(スタンリー・)キューブリックの遺作となった『アイズ ワイド シャット』(1999年)もミラノ座で観ました。ミラノ1、2と二つ映画館があったのでどっちで観たか記憶がないんですけど。とにかく色んな映画を見たし、新作映画を観に行くとなれば、大体は新宿・歌舞伎町でしたね。

あそこって当時は小さいところから大きいところまで、もっと映画館があって。だから、どこかで何かしら観ることができたんですよ。噴水のあったあそこの広場に映画館が8館か9館ぐらいありました。

— 広場の周りが全部映画館でしたね。

だから、どれか観て、そこからハシゴすればいいっていう感じでした。あと、オールナイト上映をずっとやってるんで、終電逃したら映画館で過ごすっていう手もありましたね。「シネマスクエアとうきゅう(1981年~)」(ミラノ座と同じ建物内にあった当時新宿では珍しかったミニシアター)もなかった時代の話です。

— 80年代当時の新宿は若者のための街という感じだったんでしょうか?

60年代の若者たち熱狂が少し冷めて、僕が10代の終わり頃に行っていた80年代はちょっとおじさんの街というか、少し老けた街の印象があったかもしれませんね…。60、70年代の若者たちがもうみんな大人になってますから、どちらかと言うと成熟した街でしたね。

だけど、60、70年代の文化をかじった若者たちにとって新宿は憧れの街だったし、そしてスリルがありました。当時は今と違って古き良き昭和の危険な街と言うか…。危険でスリルがあって、それでも新宿の空気を吸ってないと「いいものを作れない」なんて考えてましたね。

園子温(そのしおん)

映画監督・脚本家。1961年12月18日生まれ、愛知県出身。1986年「第9回ぴあフィルムフェスティバル」で映画『俺は園子温だ!』が入選。以降、他の追随を許さないメッセージ性の高い作品で観客を魅了し、世界の名だたる映画祭でも多くの賞を受賞している。

『エッシャー通りの赤いポスト』

あらすじ:
カリスマ映画監督・小林は新作映画『仮面』に、演技経験の有無を問わず広く出演者を募集する。浴衣姿の劇団員、小林監督の親衛隊、俳優志望の夫を亡くした若き未亡人、殺気立った訳ありの女、プロデューサーにまとわりつく有名女優など、様々な経歴の持ち主たちがオーディション会場に押し寄せて来る。
一方、脚本作りが難航する小林の前に、元恋人が現れる。1年前のある出来事を忘れることが出来ない小林は、元恋人に励まされながら新作映画に打ち込み、刺激的な新人俳優たちを見つけ出すことで希望を見出すが、エグゼクティブプロデューサーからの無理な要望を飲まなければならなくなる。自暴自棄に陥った小林は、姿が見えなくなった元恋人を探すが……。

監督・脚本・編集・音楽:園子温
出演:藤丸千、黒河内りく、モーガン茉愛羅、山岡竜弘、小西貴大、上地由真、縄田カノン、鈴木ふみ奈、藤田朋子、田口主将、諏訪太朗、渡辺哲、吹越満、ほか
©2021「エッシャー通りの赤いポスト」製作委員会
2021年12月25日(土)よりユーロスペースほかにて全国順次公開

「自主映画を撮ってた頃に戻った」復活の園子温が無名の若者たちと作り上げた最新作『エッシャー通りの赤いポスト』について語る

文:遠藤京子
写真:町田千秋

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