【Interview】Vol.4「歌舞伎町が血の通った景色になった」“ホストたなか”が感じた街と人への愛おしさ

文_佐々木ののか
2020.01.31

2018年9月、人気絶頂の最中にアーティスト・ぼくのりりっくのぼうよみが「辞職」を発表した。2019年1月にはその宣言通りぼくりりの“葬式”を行ったが、そのわずか数ヵ月後に俳優・たなかとして表舞台に姿を現した。その後もTwitterで「楽曲を1,000万円で提供します」と買い手を募ったり、虫を食べる動画をYoutubeにアップロードしたりと“辞職”後も、世間からの注目を集め続けている。

そんな彼と歌舞伎町が深く交差したのは、2019年4月。突如、Youtubeにアップロードされたのは、たなかがホストクラブのステージで椎名林檎の「歌舞伎町の女王」を熱唱する動画だった。

どうして歌舞伎町のホストクラブで働くことになったのか。

ホストたなかの舞台裏と、彼にとっての歌舞伎町についてひも解いていきたい。

ホストたなかが「歌舞伎町の女王」を歌うまで

その日、たなかと話したのは、歌舞伎町にあるホストクラブ「CLUB CLASSY」。彼が2019年の春に2回ほど働いた店だ。ホストクラブに体験入店した理由について、飄々(ひょうひょう)とした調子でこう話す。

「社長の一条ヒカルさんと何かの会食でお会いして、ホストクラブを経営されていると聞いて、やってみたいなと思って。興味もあったし、接客も好きだし、わりと向いてるかなーって」

前職であるぼくのりりっくのぼうよみの“葬式”をしてから数ヵ月経っていたが、体験入店をした夜は、フロアの卓が満席になるほどファンが押し寄せたという。2分ずつ話しては次の卓へと目まぐるしく移動し続けたが、異世界の片鱗に触れるには十分だった。

たなかに最も衝撃を与えたのが、ホストクラブの中で扱われるお金の価値。外に出て自販機で買えば150円の飲み物が、この空間では2,000円になる。足を一歩踏み入れただけで全く別の世界になってしまうことを、知識として知っているのと体験するのでは雲泥の差。その夜の衝撃について、興奮気味にこう語る。

「たとえば、姫(※ホスト用語で「女性客」のこと)が入れてくれる5万円のシャンパンと、5万円のブランドの服が頭の中で並べられるわけですよ。しかも、そのシャンパンもコールで一気に飲み切ってしまうじゃないですか。それを良しとする人がいて、喜びを感じる人がいる。正直に言えば、バグっているとは思います。でも、常識を破壊してもらえておもしろかった。お金とは何なのか、いろいろと考えさせられました。とても面白かった」

フロアを回遊し、全身で刺激を浴び続けた夜。ホスト初日にして、たなかは売り上げ1位を叩き出した。その日のNo.1ホストがラストソングを歌うというのがホストクラブのルール。ステージに立った彼が選んだのは、椎名林檎の「歌舞伎町の女王」だった。

「せっかく歌舞伎町のホストクラブだし、ウケるなあと思って、『歌舞伎町の女王』にしようって(笑)。そういうのが好きなんですよね。ホストクラブに体験入店して、1位になって『歌舞伎町の女王』を歌って帰っていくのとかが。おもしろいじゃないですか、なんか」

歌舞伎町の人や街が、血の通った景色になった

知人の紹介で歌舞伎町のホストクラブに体験入店をすることになったたなかだが、元々は歌舞伎町に縁があったわけではない。デビュー前の高校1年生のときに、インターネットで知り合った友人とのオフ会が歌舞伎町だったこともあったが「すげぇ怖い」が正直な感想。

その後も立ち寄る機会はあったが、普段の活動拠点は渋谷。来る用事も「ゴールデン街のバー『the OPEN BOOK』に寄るくらい」だった彼にとって、歌舞伎町は遠い世界だった。

しかし、2回のホスト体験を通じて、その見え方が変わり始める。

「普段から歌舞伎町にいる人たちと話して、その人たちがどういう気持ちでホストクラブに来ているのかを目の当たりにして。もちろん情報としては知っていたけれど、血の通った景色として存在するようになったというか。自分の人生と直接クロスすることのなかった人たちや街が愛おしいなって。MCMのリュックを背負った女の人を街で見かけると、前よりも身近に感じられるようになりましたね」

歌舞伎町がより近しい存在として感じられるようになったというたなか。歌舞伎町の好きなところを尋ねると、真っ先に「色」と「ファッション」を挙げた。

「歌舞伎町のどギツい色が好き。赤も青も黄色も紫も全部混じって、町全体として毒々しいオーラを放ってるじゃないですか。ファッションも独特で、適当に5人引っ張ってくるだけで、なんとなく歌舞伎町っぽさがあるような。僕は歌舞伎町っぽい女性めちゃ好きですね、MCMとか背負ってる感じの……」

「没落」していく過程で、呪いから解き放たれた

ぼくりりを辞職した後も、自由奔放な活動で世間の注目を集め続けているたなか。見方によっては攪乱することを楽しむ“愉快犯”のようにも見える。しかし、そこには彼の哲学がたしかに息づいていた。

「もちろんシンプルに楽しんでいる側面もあるのですが、偏見を持つこと自体がダサいという流れをつくりたい気持ちは根底にあります。知らず知らずのうちに持っちゃうのが偏見だから、いくら『偏見を持つのは良くない』と言っても意味がないじゃないですか。だから、誤解されがちなものに自分から飛び込んでいくかたちでアプローチしようとしていますね」

「誤解されがち」と聞いて、筆者が思い浮かべたのは目の前にいるたなか自身だった。彼が持っている哲学や考えを理解している人はどのくらいいるのだろう。不躾かもしれませんが、と断りを入れて率直な感想をぶつけると、「あー、誤解か……」と少し考え、頭の中で言葉を整えるようにしてから、こんな風に答えてくれた。

「僕の捉え方に正解はないと思っているんですよ。僕の伝えたいことはあるんだけど、100%キャッチしてもらわなくてもいいというか。たとえば、僕が自由に暮らしていることによって気持ちが楽になる人がいたらうれしいし、逆にイラっとして僕を中傷することで日々のストレスが緩和されるならそれでいいなって思うし。実際、どうしようもない日々を送っている人ってたくさんいるじゃないですか。人からどう思われるかなんて、もう気にしてないですね」

ただ、そう思えるようになったのも、ここ一年くらい。ぼくりりの辞職を発表してからの「没落」の半年があったからだという。

「むしろすごく周囲の反応を気にするほうでしたね。ぼくりりをやっていたときの最後の半年を『没落』と呼んでいて、その『没落』する過程で呪縛から解き放たれましたね。呪われていたことも忘れちゃうくらいに」

“弱冠17歳の天才”として崇められ、飛ぶ鳥を落とす勢いでスターダムに駆け上がった“ぼくりり”時代。一身に背負った期待を存在ごと葬り、文字通り新しい生を生き直しているようだった。

最後に「ホストはもうやらないんですか?」と水を向けると、いつも通りの飄々(ひょうひょう)とした調子でこう答えた。

「すごく楽しかったからまたやりたいですけどね。でも、やっぱり本職にはできないなと思いました。自分の賞味期限や色々なものと戦いながら継続されている本物の方々に対して、畏敬の念もあります。次にやるなら何かなぁ。最近知り合いに勧められていいなと思ったのは落語とかですね。逆に何かないですか?これ気になるなみたいなの」

たなか

1998年、神奈川県生まれ。2012年から「ぼくのりりっくのぼうよみ」として活動し、当時高校3年生だった2015年にメジャー・デビュー。言葉を縦横無尽に操る文学性の高いリリックは多方面から注目を集めた。2018年、ぼくのりりっくのぼうよみを「辞職」することを宣言し、2019年に活動を終了。
その後は「たなか」名義でインターネット・タレントとして活動を続ける。現在は音楽活動のほか、俳優やモデル業など、ジャンルを問わず幅広く活躍中。趣味はボルダリング。

 

歌舞伎町をより楽しむためのオンラインサロン「HELLO KABUKICHO」にて、たなか氏を迎えたトークイベントを2月15日(土)に開催!

イベント当日のレポートはこちら

*好評につきチケットは予定枚数終了いたしました。

【Interview】Vol.4 「歌舞伎町が血の通った景色になった」“ホストたなか”が感じた街と人への愛おしさ

text:佐々木ののか
photo:タケシタトモヒロ

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