【Interview】Vol.12 「新宿は“地元”で、ソワレは“実家”」チャラン・ポ・ランタンが社会を学んだ、ゴールデン街・ソワレの思い出(後編)

文:佐々木ののか
2020.11.30

幼少期から新宿に馴染みがあったというチャラン・ポ・ランタンのふたり。結成以前も、小春が流しのアコーディオン弾きとして新宿西口で演奏していたり、ももが初めて立ったステージが職安通りの「Naked Loft(ネイキッドロフト)」であったりと、ふたりにとって思い出深い場所の多くは新宿にあった。

▼前編はこちら
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後編では、チャラン・ポ・ランタンと歌舞伎町・ゴールデン街にあるバー「ソワレ」の思い出について紐解いていく。「『ソワレ』は“実家”で、オーナーのソワレさんは“お母さん”みたいな存在」と語るふたりと「ソワレ」が紡いできた歴史に耳を傾けたい。

生まれて初めての連続だった、ゴールデン街

小春とゴールデン街の出会いは13年ほど前、彼女が19歳の頃まで遡る。

アコーディオン弾きの大道芸人として、都内各地で流しの演奏をしていた小春。大道芸人として活動し始めて1年が経ち、連絡先とスケジュールが書かれたチラシや人の紹介で出演依頼が増えつつあった。そして、その出演依頼のうちのひとつが、ゴールデン街の「ソワレ」だったのだ。

「ソワレ」は、シャンソン歌手のソワレさんが2003年にオープンした店。カウンターを含めて10人も入れば満席になってしまうほどの小さな店には、日本全国ひいては世界各国からオーナー目当てに会いに来る人が後を絶たない。当時から人がひしめき合うような賑わいを見せる人気店だったという。

そんな「ソワレ」で流しの演奏をすることになった小春。人との会話が苦手で、「生計を立てながら人と最もふれあわずに済む方法」としてアコーディオン弾きの道を選んだ彼女にとって、ゴールデン街はまさに「未知との遭遇」だった。

「ゴールデン街ではだいぶ鍛えられましたね。当時は周りにお酒を飲む人がいなかったこともあって、相手の話に相槌を打つだけでコミュニケーションが成立することが新鮮だった。泥酔している人に『アコーディオン弾いてよ』と頼まれて『かなり酔ってるけど弾いたほうがいいのかな』と戸惑ったこともあったし、生まれて初めての連続でした(笑)」

都内に数ヵ所あった流しの演奏場所のひとつに過ぎなかった「ソワレ」。オーナーであるソワレさんとの交流は絶えなかったものの、20歳で流しの演奏を辞めた後は、店に足を運ぶ機会も少なくなっていった。しかし、小春と「ソワレ」は再び出会い直すことになる。

そのきっかけとなったのは、ある“事件”だった。

「21歳のとき、当時の恋人にお金をたくさん持っていかれちゃって。話し合ったり、拒否したりもできたのかもしれないけど、私は交渉が本当に苦手なんですよね。最後に手切れ金のつもりで7万円払ったら、残高が100円くらいになっちゃって。そんなときに『今、お金ないんでしょ? うちで働けば?』と声をかけてくれたのが、ソワレさんだったんです」

生きることを学んだ“実家”、バーソワレ

チャラン・ポ・ランタンの小春(左)ともも(右)

18歳のときにアコーディオンだけで身を立てると固く決意して以来、自分との約束を守り続けてきた小春。

「自分の中のどこかに『音楽だけで稼ぐ』ポリシーがあったんですよね。でも、お金もなくなっちゃったし、『バーなら流しの演奏と遠からずかな』と、自分に許しを得るかたちで、人生で初めてアルバイトを始めました」

お酒づくりはもちろん、お金の計算をするのも初めてだった小春にとって、バーカウンターからの景色は「不思議」に映った。

「こんなに大変なんだと思いました。たとえば、お花見で大道芸をしたら、1時間演奏するだけでお金がたくさん集まるんですよ。でも、バーだとお酒を1杯しか頼まないのに3時間くらい居続ける人もいるじゃないですか。不思議な世界だなぁと思って」

お客さんの「リピート」も、大道芸時代にはなかった発想だった。

「バーでは『また来てもらうには』という視点も習得しましたね。お客さんの顔を覚えたり、愛想を良くしたり、会話したり。チップをくれた人にありがとうと言ったほうがいいとか(笑)。人として最低限のマナーなんですけど、それまでは音楽しかやってこなかったから分からなかった。21歳にして『おっせー』って感じなんですけど(笑)」

アコーディオンを置く代わりに、「生きることを学んだ」と話す小春。小春が働き始めてまもなく、ももも「ソワレ」に出入りし始めて、ふたりにとって「実家」のような場所になったという。

それにしても、“会話が苦手な無愛想な人”を雇ってしまう、オーナー・ソワレとは、どのような人なのだろう。ふたりにはソワレさんがどう映っているのか。尋ねてみると、こんな風に答えてくれた。

「ソワレさんは『とりあえずやらせてみましょう』という勢いがあるんですよね。今でも連絡を取るんですけど、一番得体の知れない人かもしれない。小春の昔から現在までを見守ってくれている唯一の人です」(小春) 

「世話を焼いてくれるお母さんみたいなね。ずっと気にかけてくれてる」(もも)

「自分のお母さんより、お母さんっぽいかもね(笑)。チャラン・ポ・ランタンの“新宿イメージ”も『歩く新宿』のソワレさんがきっかけになっていることも大きいよね」(小春)

また、勤務終わりのゴミ捨てが間に合わず、隣の店の軒先にこっそり捨てたのがバレて、オーナー・ソワレにこっぴどく叱られたエピソードを笑いながら話していた小春。「ぜんぜん反省しなかったですけどね」といたずらっぽく笑う表情から、ふたりの関係性がほんの少し垣間見えた気がした。

「私の歌手人生を代表する場所」「唯一語れる『地元』、変わらないでほしい」

「私の歌手人生を代表する場所」

新宿はどんな場所ですかと尋ねると、ももはそう答えた。

「歌舞伎町方面に向かう東口に出るたびに『うるせー!』と思うと同時に、なんか落ち着くんだよね」(もも)

幼少期から引っ越しが多く、生まれは千葉、思春期に住んでいたのは多摩ニュータウン、通っていた学校は町田と、関東近郊を転々としてきたふたりにとって「地元」を語ることは難しい。「語れる場所があるとしたら新宿しかない」と小春も口を揃える。

「エレベーターもないし、スロープもない。楽器を背負って階段を上り下りしていたからこそわかるけど、外に出るまでが大変な街だよね」(小春)

「新宿こそシンプルにしたほうがいい」(もも)

そう口々に言い合うも、「でも、変わらないでほしいな」と小さく呟いた小春に、ももも同調した。

「たまに帰ってくると、懐かしい気持ちと照れくささを感じるもんね。いつでも帰ってこられて、訪れたときに『あぁ、懐かしいな』という気持ちを味わえる街であってほしい」(もも)

身近な存在だからこそ悪態はつくけど、大事に思っている。そんなアンビバレントな感情に彼女たちの「地元愛」を感じた。

最後に、新宿・歌舞伎町でやりたいことを尋ねてみると、目の前でむくむくと企画が広がっていった。

「新宿のNaked Loftで対バンした人たちと一緒にまたライブしたくない?」(小春)

「他のミュージシャンたちに呼んでもらってライブができてたけど、私たちが呼んだことはないしね。『私たち、まだ元気にしてますよ』って言うのを伝えたいよね」(もも)

「そうね、いいんじゃない? あの頃にお世話になっていた“親戚”の皆さんに向けて、『私たち、まだ元気にしてますよ Vol.1』、やっちゃおうか」(もも)

チャラン・ポ・ランタン

もも(唄/ 平成生まれの妹)と小春(アコーディオン/ 昭和生まれの姉)による姉妹ユニット。
2009年に結成、2014年にエイベックスよりメジャーデビュー。
バルカン音楽、シャンソンなどをベースに、あらゆるジャンルの音楽を取り入れた無国籍のサウンドや、サーカス風の独特な世界観で日本のみならず、海外でも活動の範囲を広める。
チャラン・ポ・ランタンとしての活動のほか、映画/ドラマへの楽曲提供、演技・CM・声優・イラスト・執筆など活動の範囲は多岐に渡る。これまでに9枚のオリジナルアルバムを発売。最新アルバムは「こもりうた」(2020年10月28日発売)
WEB

【Interview】Vol.12 「新宿は“地元”で、ソワレは“実家”」チャラン・ポ・ランタンが社会を学んだ、ゴールデン街・ソワレの思い出(後編)

text:佐々木ののか
photo:山口こすも

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